ヨーロッパの一六世紀において、フロレンス、ナポリ、ヴェニス、フランクフルトなどの幾多の自由都市が出現したが、わが国でも、あたかもそのころ、戦国時代の末期に、堺、桑名、平野などの自由都市が現われた。なかでも代表的なものは堺であった。堺は町の周囲に濠をめぐらして、常に水をたたえ、浪人を多数抱えて、町の防衛に当たらせ、三六人の会合衆によって自治制をしいて、ヨーロッパにおける武装都市の姿を髣髴させるものがあった。
古い時代には九州の太宰府が外国貿易の中心地であったが、漸次北に移り、室町時代の中葉以後に至り、南洋との貿易が盛んになるにつれ、堺に移り、次いで大坂がこれにかわったのである。堺は室町時代の中ごろから山名氏清が、ここに城を築き、応永(1394~1427)のころには大内義弘の領地となり、かくてここを商港として、近くは支那・朝鮮、遠く南洋と貿易を開いた。したがって堺は貿易上大活躍したのである。ゆえに南洋交通の商人は堺には少なくなく、かの呂宋助左衛門のごときはその一人である。かくのごとくに海外と盛んに貿易したので、港は年に数百艘の船が出入し、殷賑をきわめたが、貿易によって蓄積した富が基礎となり、ここに集まる商工階級はしだいに勢力をえたのである。かくて室町時代末には、幕府に対して年貢をうけおって、ある程度の自治ば認められていた。
堺の商人は当時の成金ではあったが、趣味はきわめて高尚であった。すなわち東山時代に茶の湯が流行した。しかしそれは主として上流社会と緇流との間のみに行なわれ、一般民衆とは全く没交渉であった。それが門閥階級が打破された戦国の末から、茶の湯は民衆化し、それが堺において、殊に堺商人間に異常なる発達をとげ、したがって茶道の名物が多くこの地にあった。元亀元年(1570)四月朔、織田信長が堺にある名物を京都に取り寄せて一見したとき、その中の最もすぐれた名器に対して過分の代金を与えた。また天正一五年(1587)一〇月朔挙行の北野大茶会に飾った茶器は、太閤の道具が一番、二番千利休、三番天王寺宗及、その他の名器いずれも千金にかえがたき逸品揃いであり、書画、天下の名品ことごとく堺商人の所持品であった。すなわち東山趣味に養われて、茶道は堺において異常に流行し、発達し、その富に任せて名物品はことごとくこの地に集まってきたのである。堺商人に富が集まってくると、時を同じうして、かつて東山時代に台閣諸公および五山の緇徒の間に愛玩せられた名器、名物品は堺商人の手に帰してしまったのである。
しかし堺商人は富に任せて、決して遊惰の民ではなかった。「世間胸算用」(井原西鶴著元禄五丑年板)には
されば泉州の堺は朝夕身の上大事に懸け、胸算用に油断なく、万事の商売内輪に構え、表向は格子作りにしまふた屋に見せて、内証は奥深う、年中入帳の銀高積んて世帯賄ふ事なり、仮令ば娘の子持つては、庖瘡して後形を見極め十人並に人がましう当世女房に生れ附と思へば、早や三歳五歳より毎年に嫁入衣裳を拵えける、又形思はしからぬ娘は男只は請取らぬ事を分別して、敷銀を心当に利貸商事外にいたし置き、縁附の時分をのみ大義になきやうに、覚悟よろしき仕方なり、是によって棟に棟次第に建続にて、苔羅葺の屋根も損ねむ中に差朽したり、柱も朽ぬときより石で根継ぎをして、軒の銅樋数年心懸けて徳を見済していたせし手納の不段着、起居忙しからねば此切にし事なく風俗しとやかに見えて身の勝手よし、諸道具代々持つへへつば手忘の茶の湯の振舞ひ、世間へは花奢に聞えて、さのみ物入りにもあらず、年々世渡りを賢うしつけたる所なり。
のごとくにきわめて手堅く、心がけのすぐれているところをくわしく述べている。
また一方天文一二年(1548)、ポルトガル人が種子島に漂着し、鉄砲を伝えたが、あたかも戦国の時代であるから、この新兵器の渡来こそ一大驚異であった。しかるに堺には鉄砲作りの名人に橘星又三郎かおり、大砲作りの名人に芝辻氏がいて、これが全国に販売され、かくてわが国の築滅法に、戦術に、大変革をきたしたことも当然である。かくて堺へは富がただ集まるばかりであった。
また堺は古来絹の製産地であって、元中年間(1384~1392)ここに機場が設けられ、絹、綾などを織った。かくして京師の絹と相並んで精巧のほまれ高く、これを羽二重といっていた。また天正年間{1573~1591)には中国から織工を呼びよせ、明様の紗・紗紋・金紋紗を伝え、これを諸国に伝えた。錦も中国からこの地に伝わり、これがのちに西陣に伝わり、西陣の錦となったのである。また緞子、縮緬もこの地に発達した。かくて富はこの地に集まる一方であった。富を巨大に集積した堺商人はわが国歴史上、商人が頭をあげて一勢力を把握した最初のことであった。
さきに述べたように欧州の自由都市は、その自由を封建制度の手から金で買い取るか、または実力で奪取したので、それにはその基礎にじゅうぶん発達した経済的地盤と、成熟したる市民階級団結の力が存在していたのである。それに対して堺の場合は、室町末期の社会的混乱期における封建支配体制の間隙に乗じ、戦国群雄の勢力均衡の上に辛うじて獲得し、保持した自由にすぎない。都市としての実力が封建的支配者に対抗しうるほどの経済的・社会的地盤をもっていなかった。かかるがゆえに強固なる中央集権を基本とする封建制の再編成が完了するや、
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